quarkgrenier

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旅するマーケットumine[海音]2019

少し時間が空きましたが

今年も7/6に鳥羽市民の森公園でumineの開催を

させて頂きました。

早いもので3回目。

komichimarketから合わせると4回。

鳥羽でのマーケットも少しは根付いてきたのかな。

なかなか僕個人、行政とのお付き合いが

全くなかったタイプなのですが

お声掛け頂けることに感謝してます。

大きなイベントってなかなか個人で開催したくても

場所や駐車場問題、スタッフや資金面等々沢山の壁があります。

本当に有りがたいです。

今回のumineは冬にお声頂き

今年度(2019度)ならいつでも良いと

お任せで、春はすぐだから準備間に合わず

秋は既に当店が予定がちらほら入ってたので

じゃあ初の夏開催だ!て事で4月から準備に入りました。

当初は旧鳥羽小学校での依頼だったのですが

安全面での諸問題があり、市民の森での開催になりました。

最初はスローモードで動き出し

どうもいまいちまだ乗り切れなかったのだけど

4/14に一宮市での「粉祭」に出店した際に

久しぶりの出店ってこともありましたが

そこで色々と自分ながらに勉強と言うか

背中を押された感があり

出店配置の仕方からライブ等々・・・・・

 

色々と開催するにあたり勝手に助けられました。

 

 

そこからはスピードを上げて開催へ。

今年も本当に素敵な出店者さん43組とライブの3組・本城まい子さん・YUTANI DESIGNさん・SYSYTEMGATEさん・写真のジョーさんやタカヒロ氏、スタッフの6人に助けれました。

「イベント大変でしょ?」なんて言われますが

各みなさんが本当に力を発揮してもらえるので

僕は本当に呼びかけと連絡調整程度な仕事なのです。

あとはそこに集まってもらえるお客さんに助けられるのが大きいですね。

いくら良いマーケットだ!と言っても

お客さん無くては成立しませんから。

 

楽しんでもらえること、待って下さってること

本当にすべてにありがとうです。

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また来年開催できたら良いですね。

世界観

7月末から8月上旬にかけお休みをいただきました。

うちがお休みを頂くと「改装」すると思われがちですが

今回はあくまで「メンテナンス」。

数年に一度気になる個所が溜まって来るのと

いじりたいのと

やはり時代とのバランスなどで「アップデート」をするのも必要。

休む前には入口に客席を配置する事だけを頭に

あとの構想は空っぽ。

休み開始してから

家具探しや小物・古道具探し

そこから模様替えや配置換えを考えました。

結構ゆっくりと考える時間があり

照明の差し込み方ひとつまで拘り

駐車場から入口までのアプローチ

まで考え直しました。

自分たちが好きなお店ってやっぱり

外からの世界観でわくわくしてしまいます。

外観や建物に気を配らず雰囲気無しでは

トータルとして残念ですからね。

写真映えではなく、そこも作品ですから。

 うちはどうなんだろ?自分自身は毎日毎日過ごしているから

見慣れたところがある。そこはみなさんのご判断に任せて。

 

今回のテーマはまさに「世界観」です。

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わざと裏を入口にしたり

みなさんよく写真を撮ってらっしゃいますね。

ポイントなのでしょうか?嬉しい限りです。

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メニュー表・食器類・着衣・肝心の喫茶メニュー等など

色々とメンテナンスしました。

まだまだ完成とまでは行かないですが

(今日もまだ古道具が届いたりしてます。きっと完成は無いと思います)

一歩一歩と理想の形に近づけています。

(店内はご来店下さった時のお楽しみです)

少し新しくなったquark+grenier、ぜひいらして下さい。

特製ハンバーグのお休みについて

 

 

近年定番メニューでご用意していた「特製ハンバーグ」ですが

昨年よりテイクアウトメニュー(ドーナツ・ケーキ)の方を拡大し

当店はこの先何か特別な事が無い限り

夫婦2人で切り盛りする予定でいます。

やはり自分達の手で、目で

店全体を行き届かせたいし

それがしたくお店をした理由もあります。

スタッフを雇って幅広くという考えもありますが

うちは小さく運営するのが目的なので。

人任せではなく、自分任せで。

 

話はそれましたが

ハンバーグの調理時間にとても時間がかかる事

テイクアウトのレジに一人どちらかが

かかりっきりになり(こちらも一人では手に負えないこともしばしば)

1人で調理をしていると、ご来店のお客様に気づかなかったり

お席のご案内→お水&メニュー説明→オーダー聞き取り→調理に15分×オーダー数(人数分)

となり一組毎が限界となります。

これではご来店のお客様にとてもご迷惑をおかけしてしまう事で

1月よりお休みしております。

 

有りがたい事にテイクアウトの方も

定着しつつあり、まだまだ再開には手が行き届かないのが現状です。

 

オーダーしてからお持ちするまでに約40分以上お待ちいただくことも多々あったため

カフェなので経営的にも回転数を考えるということもあります。

でも今の調理法は変えたくないために、今後もしばらくお休みさせて頂きます。

ハンバーグの再開をお待ちいただいていたお客様には

本当にこちらの勝手な理由で、申し訳ございません。

 

 

しかし、新たに「キッシュプレート」と新装「ドライカレー」が定番化しております。

こちらもおススメのメニューですので

是非ご賞味頂ければと思います。

 

どうぞ宜しくお願い致します。

 

cafequarkへの道④

3/6 とうとうこの日がやってきた。

まだ信じられやんし、なんだか他人事。

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いっぱい花が届きました。感謝しかありません。

忘れもしないオープン11時からなのに

緊張して10:30にごはんを炊くのを忘れた記憶。

義母、珈琲屋さんの担当の人が助けに来てくれました。

前職の会社の人や友人、初日は本当に色々な方が沢山来店くださいました。

ここからがスタートだったんです。

初日は初日。沢山失敗したし間違えも沢山。

先輩方たちからも沢山の厳しい言葉なども頂きましたが

全て受け止め反発せずに「いつか納得してもらえるよう」と思いました。

 

初日にいい気分を味わえたのですが

2日目からしばらくの数か月は、静かな静かな時間が続きました。

今の時代のように

SNSもないし、ネットも食べログもそこそこ。

雑誌などの媒体が宣伝手段

掲載も断ってたので、もちろん暇が続きました。

でもいきなりスター街道より

この時間が本当に

有って良かった時間だと思います。

試作や考える時間、素人なので

スタートしてから一つ一つ確かめながら出来ました。

 

以降は皆様の知って頂いてるquarkです。

 

cafequarkへの道③

イベント「旅するマーケットumine(海音)」の段どりなどでここ2か月かかりっきりで

すっかりご無沙汰してしましました。

 

ここの土地を決め、まったく素人の2人

僕は仕事から帰ってきて

こんなものあんなものとメニューを試行錯誤(ほぼ失敗の連続)

(時代的に”トライフル”とか”ナシゴレン”とか統一性が無い物をたくさん作った)

かみさんは津市内で小さな料理と製菓の教室に通い

色々と勉強の日々。

専門書も買いあさり・・・

そうこうしてるうちに着々と建物は進んでいく。

会社に内緒で家も建ててるから

外へ営業のふりして家を見に行ったり

大工さんへ差し入れしたり・・・

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まあわくわくが止まらなかった。恐れることは何も無かった(若さゆえに)

出来上るまでにも店の什器や装飾品、食器などなど

買い出しややることが満載だった。

で、2006年11月にここへ住み、僕は

翌月の12月に18年務めた会社を辞める決断へ

上司を飲みに誘い、理由を言ったら

断られることなく「今の君なら応援する」と言ってもらった。

翌年の1/10で退社。

かみさんも雑貨店を退社。

その時点で既にオープンの日(3/6)も決めていて

その間の2か月は夫婦2人でお互いに飲食店へアルバイトに出

今考えれば短期間の薄っぺらい経験だったけど

知らないよりはいい経験出来たと役に立っていると思う。

津から戻って来たから、友人もほぼ皆無で

家族や家族の知人を招いて予行練習を重ねた。

でも2月になっても一向に”メインメニュー”が決まらず・・・

たまたま見たネットのメニュー「ドライカレー」を見つけ

それを試作したら、カミさん家族に評判で

「これー!」と言う感じで

今も登場するquarkの定番メニューが出来上がった。

本当にオープン直前だった記憶がある。

 

3/3はプレオープンを開催。

オープンからクローズまで

本当にたくさんの方々に来て頂き

こんなにも働いたことないくらいに

しんどかった覚えがある。

「どうだった?」と聞く勇気も怖く

相手の出来てくる言葉を聞いても

宙に浮いた感じだった。

プレオープンはやるかどうか悩んだけど

やって良かった。いきなり本オープンはきつかったな。

で、3/6を迎える事に。

cafequarkへの道②

つづき

 

で、カフェをすると決めたんだけど

やっぱり親には言っておかなきゃとずっと悩んでて

でも親父は転職もせず1つの会社を通してきた人だから

中々言い出せずに・・・

 

ある日叔父が亡くなりお葬式に

家族で参列。結婚後は

そうそう両親と3人なんて場面は全くなく

その帰り際、夜道を3人で歩きてるとき

「話があるんやけど……会社辞めてカフェをしようと考えてる」

内心は心配でしょうがなかっただろうけど

僕の性格決めたら変えないのも分かって

特に大きな反対も無く「人生1度やでな」と

(後日「本当にするの?」と母はこっそり聞いてきたから結構心配してただろう)

両親に言うことはかみさんにも言って無かったので

また時機を見て一緒に言おうみたいな感じだったので

家に帰ってから結構「どんな反応だった?」とすごく聞かれた記憶がある。

やっぱりそこをクリアしなくては進めないからね。

筋は大事だと。

 

 

そこからは少し気も軽やかになり

不動産屋めぐりで気になる物件をちらほらピックアップし

自分たちの足で見に回る中で、まずは河崎の古民家風な家が気になり

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(この右手あたり、しかし取り壊され今は違う住宅に)

友達の大工さんに相談するも、排水他住居部分傾いててて住めたもんじゃないとの事で

あっさり断念。入口に土間があっていい雰囲気だったんだけどなあ。

で、ふりだしに。

またそこから数か月が経ち、次に見つかったのが玉城町のこちら(こちらも今は取り壊されて)

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(この茶色の家 グーグルマップより 軽トラはどなたかの)

土地も広く、平屋で静かな所だった。ここはほぼ決めたくらいに悩んで

何度も何度も見に行き、知り合いの業者さんに改装の相談をし

業者さんもノリノリで決まったも同然であったが

改装費はべらぼうな金額に・・・建物よりずいぶんと費用がかさむのもさすがにキツイ。

またふりだしへ。

 

でも諦めなかった。

少し考えを変えて

これならもう少し借入多くして

新築行くか!とただただ進むことしか考えず

それからまた不動産屋周りで結構すぐに見つかったのが

今の場所だった。確か5件くらい土地のコピーを頂き

最初に立ち寄ったのがここで、結構もう「ピン」と来た。

「ここだ」

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これ初めて見に来た際の写真。もう車並べてイメージしてる

先に立ってるの僕です 笑

これから始まるところであります。

 

つづく

cafequarkへの道①

約4年ぶりにブログを更新

 

オープンして12年が過ぎたので

1度お店を始める動機などを忘備録の意味もこめて。

 

僕はサラリーマン(事務)。その頃は勤続15年くらい、職場では中堅な年齢(もちろん平社員)。平和で安定した会社だったから不満も無いし、転職する気もさらさら無かった(ただデスクの前のおっさんとは折り合いが悪かったけど 笑)

結婚1年か2年目でアパート暮らししてた時

かみさんが突然「ベランダで雑貨屋しよかな」と遊びのような話をしだした。

彼女は雑貨屋さんに勤務してたのでその延長戦で。

その時は全く興味も無かったのだが

なんか引っかかった。

その頃仕事以外に趣味のバンドに明け暮れていて、年齢もそこそこ来たので

メンバーも中々集まりにくい現状になってきた。

でもある日「夫婦なら色々と言い合えるし、一つの方向へ向ける船に乗った感じでバンドみたいかも」と安易に考えが徐に芽生えた。でもまだこのままサラリーマンで60歳まで行くのだろうと内心。

で、世はカフェブーム。服や買物が好きだったので良く大阪や神戸に足を運び

そういうときに立ち寄った「カフェ」でたまたまエスプレッソマシンを操る姿が絶好に見える客席へ。その店員さんがマシンを操ってるのに何か興味を湧いた(もちろんエスプレッソマシンなんて事も分からず)

それをかみさんに告げることも無く、そこから2・3日「カフェ」が頭から離れなかった。

20代後半から飲食に関わらず将来、型になるものが出来たらみたいな夢は心の片隅にはあった。

飽き性でせっかちな性格だから、3日経っても(3日でもずいぶん長く感じた)「カフェ」への魅力の気持ちが変わらなければやってみようかなあと。

で、突然「雑貨屋さんは無理やけどちゃんと考えてやったら「カフェ」なら素人の俺らでも生計が立てられる仕事かも」と告げた。むこうはすぐさまノリノリ。

既にマイホームを建てたいなんて話もあり、色々と展示会などに足を運んでいたので

それからは「カフェ」の方向へじわじわと進んだ。でも店となると借入とか資金に無理があると・・・でアパートと二重払いは厳しいからテナントは×、で結果中古物件の一軒家を探そうとなった。

そこから2年近く週末の休みは誰にも言わずこそこそと不動産屋を回った。でもこんな子供みたいな奴らをどこも真剣には相手にされずにこれと言う物件に出会えなかった。

 

つづく